裁判所の常識、世間の非常識②

幸せな人生の方程式

甥っ子たちが赤ちゃんの頃から知っている友人がいる。久しぶりに会って近況を語っているうちに、彼女も甥っ子たちのことを心配してくれているため、自然と甥っ子たちの話題になった。上の甥っ子に起きた出来事について、もしかすると私の考えすぎかもしれないけどというトーンで話したところ、医療従事者である彼女も私がその時に抱いた疑念に同意してくれたのだ。いろんなケースを見てきている彼女でもそう思うということ、そして5歳の女の子が被害者となったというニュース、その二つを考え合わせても警察に相談したことは間違っていなかったと思うと同時に、ある思いが頭の中に浮かんできた。

警察の方のアドバイスを受け、裁判所に親権者変更の申し立てを行い、1回目の調停が行われたのが去年の12月のことだった。その時には既に事件性なしとして警察の捜査は終結していたのだが、「じゃあ、今回の調停はこれで終了ということでいいですか?」、兄に対して男性の調停員がそう言ったという。いや、そんなわけないだろ、馬鹿にしてるのか。自分の息子がもしかすると事件の被害者になっているかもしれないというのに、元兄嫁は息子を心配することもせず、障害者だから信用できないと簡単に否定したこと。子供の学校生活の管理もままっていないこと。きちんと定職に就いていないこと。いろんな事情を調停員たちに話しても、全く調停員には響かない。この人たち、どういう良識でこれまで生きてきたのだろうかと疑いたくなるが、この状況は今回に限ったことではなく、前回の離婚調停においても同じだった。家事を放棄していたこと、子供たちのケアも不十分であったこと、いくら兄が説明しても全く親権者の決定においてそれらが考慮されることはなかった。

今回の親権者変更の申し立ての手続の中で、離婚調停においての調査官の調査書というものを提出しなければならず、その調書を初めて読んでみて絶句した。元兄嫁からの主張は嘘だらけで、様々なウソの中でも衝撃だったのがこの部分。「父は、当時、自宅は足の踏み場がないほど散らかっていたと述べる。一方、母は、洗濯物が溜まり、髪の毛や買っていたウサギの毛が落ちていたが、父が述べるほど散らかっていなかった。」

ちょっと待って、これが散らかってないって、どういうことですか?しかも、これでも少しは片付けた後だし、最後の写真の部屋なんて、奥にある窓にたどり着くまでに何週間もかけて掃除したのは私ですよ。どの部屋も荷物が散乱しており、炊飯器の中には腐ったごはん、洗面所には脱ぎっぱなしの元兄嫁の下着、後々になって返してほしいって言ってきた着物なんて、山のような荷物の一番下にあったんだからね。全て片付けるのに2ヶ月以上かかったが、調査官の方はこれを見ても父が述べるほど散らかっていなかったと言えるのだろうか。

前回や今回の調停を通じて分かったことがある。裁判所の調査官というのは、真実というものにはまるで無頓着だということ、そして世間の常識からはかけ離れているということだ。現在の親権者の変更の申し立てにおいては、去年の12月に1回目の調停が行われ、2回目は今年の2月に行われたのだが、元兄嫁がなんと結婚してその男性の籍に子供たちを入れると言い出しという。そもそも、子供たちからはママに交際相手がいるとは聞いていたが、去年の12月の時点ではその男性と別れたと言っていた。なんと今回の結婚相手はその人じゃないらしい。じゃあ誰だよ。出会ってすぐの男と結婚して、さらにその男の籍に自分の子供を入れるって、しかも元兄嫁は無職なのにその男はフリーター。それを聞いた調査官は、「いい人かもしれないし」って兄に言ったんだそうだ。そういう問題じゃないからっていう。

「正論。」

「男を探す前に、仕事を探せ」、私が友人と話していてそんなことを言った時に、小6女子に言われた言葉。いや、普通に小学生だって分かるんだよ。それなのに、いい人かもしれないなんていう適当なことは言わないでほしい。なぜって、この調停は子供たちの人生がかかってるんだから。それとも、裁判所の調査官にはこれが普通のことなの?あの家は散らかってるって言わないの?私たちは子供たちの親として、二人の将来のことまで考えてる。鉛筆を持たせるだけでキレる上の子の話を聞いても、まだ彼女がちゃんと子供を育ててるっていうなら、もし子供たちが将来ちゃんと働いて自立できなかった時に、調査官たちが責任を持ってくれるんですか。

殺人の冤罪が晴れて認められた袴田巖さんの特集をテレビで見ていた時に、当時、有罪という判決を下した裁判官の一人の方がこう言っていたのを思いだす。裁判官も間違うことがある。社会で生きている以上、常に完ぺきな仕事をするなんてことは不可能なこと。裁判官であろうと、調査官であろうと、会社員であろうと、誰だって仕事でミスすることはある。だからこそ、一旦立ち止まってちゃんと考えてほしい。自分たちの判断は本当に正しかったのだろうかと。

「裁判所の常識、世間の非常識」。私が2回の調停を通じて感じたことだ。考えてみると、私は大学卒業後にロースクールに進学したのだが、勉強をせずに落ちこぼれたっていうのもあるけど、教授の話などを聞いていて将来この世界で働くのは無理だと思いロースクールを中退した。その時に私が感じたのは、まさにこのことだったのかもしれない。なんて、苦し紛れの言いわけに聞こえるかもしれないけどさ、本当に私はそう思うんだよね。

子供と一緒に暮らしていきたいと思うなら、まずはするべきことがある。子供の幸せや安全を願うこと、そしてそれのために努力をすること。いつまでも子供たちの養育費に依存するのではなく、自分で働いて安定した暮らしを築くのは当然のことではないのか。子供が危機に瀕しているというのに、きちんと子供と向き合うこともせず、障害があるからといって子供の訴えを無視するような人に、子供の安全を守ることができるとは思えない。だって、この期に及んで自分のすべきことの優先順位すら分かってなくて、よく知りもしない人と結婚するとか言ってるんだよ。ふざけるなよ。そして、そんな人に平然と親権を認める裁判所。この悔しい気持ちを、一体私たちはどこにぶつけたらいいのかも分からない。だって、裁判所はそういう訴えるを救済する場所だと思っていたのに、その裁判所がこの有り様なんですもの。

もう1回言わせて。裁判所の常識、世間の非常識。どうか共同親権という制度が名目だけに終わらず、悲しい思いをする子供たちが一人でも減りますように。

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