薬局でもらった日めくりカレンダーには、1日に一つことわざが書かれていて、それを読むのが私の朝の日課となっている。いろいろなことで悩んでいた時に、日めくりカレンダーに書かれていることわざに何度も救われてきたのだが、2026年4月21日の今日は「敵に塩を送る」だった。
この言葉は、戦国時代に、武田信玄の領民が今川氏により塩の販売を禁止されてしまい困っていた時に、敵である上杉謙信が適正な価格で塩の販売を命じたという故事に由来し、要するに相手の苦境につけこまずに、敵だとしても思いやりを持ちなさいということなのだが、実際にこういう歴史的事実があったかどうかは不明なんだそうだ。えっ、完全に事実だと思い込まされていたんですけど、何だかショック。
苦手な人にも親切にすることを善と思いこまされてきた人は、たくさんいるだろう。情けは人の為ならずって、小さい頃に祖母から教わった私にとっては、誰かに親切にすることはいずれ自分の身に返って来ると思って、たとえ苦手な相手にも優しくしなければいけないと思っていた。たしかに、人にした親切は自分の身に返って来る、これに関しては私は疑っていないの。親切であろうと意地悪であろうと、人にしたことは必ずや自分の身に同じように、いや、それ以上のパワーになって戻って来ることは、四十数年生きてきた中で実感している。
でも、悪いことばっかりしている人だって、何不自由なく生きてる人だっているよって思うかもしれないけど、そういう人はきっと敵が多くて、いろんな人から恨まれながらも本人は全く気にもとめてないだけで、そういう人が幸せと思うかどうかはそれぞれの価値観によるんだと私は思うのね。
ちょっと話はそれたけど、私はどんな人にも親切にするのが善だと思って生きてきた。だけど、40歳を過ぎて思う。本当にそうかって。世の中にはいろんな人がいて、こちらの思いやりを当たり前のように受け止める人もいれば、思いやりを迷惑だと受け止める人もいる。中には、人に親切にするなんてバカだなって思うような人もいるわけで、思いやりの心が通じない相手も一定数はいるんだっていうことを認識しておかないといけない。そんな相手にも親切にするんだって、それはすごく立派な心がけだと思うけど、そういう人間はあなたの善意のパワーを消耗させるだけで、そこから得るものといえば、「そういう人も世の中にはいるんだな」っていう教訓ぐらいじゃないかしら。それでもいいわっていうならいいけど、自分の心を疲弊させてしまうのなら、それはもはやあなた自身に害を与えていることになってしまうんだよね。
学校にも職場にも、家族という身近な存在にだってそういう人って必ずいて、人間関係で悩みを抱えている方ってすごくたくさんいるだろう。でも若い時って、自分にも足りないところや悪いところがあるんじゃないかって自分の責任にしちゃって、そういう人を優しく受け止められない自分が悪いんじゃないかって考えちゃったりするんだよね。でも、40歳を過ぎてようやく分かったの。そういう人たちって、こちらがどんなに悩んでも、一生懸命に改善策を考えても、向こうは何も考えてないのね。むしろ責任は自分に全くなくて、悪いのは全て相手ぐらいにしか考えていなくて、こちらが1万歩ぐらい譲ってあげようものなら向こうを気持ちよくさせて、付け上がらせるだけなのよ。
じゃあ、そういう人たちとどう付き合えばいいのかって思うかしれないけど、上手に付き合う方法なんて全くなくて、適度に距離を置くしかない。注意したところでやっぱりこちらが疲弊するだけだから、とにかく距離を置く。なるべく相手のエネルギーに触れない。相手を変えられるかもしれないなんて、そんなのはあなたの自己欺瞞でしかないから、関わらないのが一番なんですね。
自分とは分かり合えない人もいるんだって諦めること、何だかちょっと腑に落ちないんですけどって思うかもしれないけど、これはもうどうしようもないことで、そこで必死になればなるほど底なしの沼にはまるだけ。そんな相手が身近な存在だったとしたら心配になってしまうかもしれないけど、相手にとってはお節介なだけで、有り難いなんてこれっぽっちも思われないから、放っておくっていうのも大切なことなの。向こうが助けを求めてくるまで無視して、万が一助けを求められたときに、救いの手を差し伸べるかどうかはその時に考えればいい。
誰かのために悩む時間なんてもったいないじゃん。あなたの人生に与えられた時間は限られてるんだから、限られた時間は自分のために費やしましょう。そもそも自分が本当に幸せでなければ、誰かを幸せにすることなんてできないのだから。


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