自己啓発に目覚めた私が、会社員をやめるまで 第3部

幸せな人生の方程式

こんにちは、Masakoです。ご訪問ありがとうございます。
前々回前回からの続きで、自己啓発に目覚めて会社員をやめるまでの最終話となる第3部。

実際に会社員をやめるに至った背景をお話しさせていただきたいと思います。

これまでの記事はこちら

自己啓発に目覚めた私が、会社員をやめるまで 第1部
自己啓発に目覚めて会社員をやめるまでのストーリーの第1部。ブログの著者であるMasakoのプロフィールを紹介しています。生まれてから学生時代、社会人になるまでのお話しと、憧れだった外資系企業へ転職した時のエピソードを綴っています。
自己啓発に目覚めた私が、会社員をやめるまで 第2部
ブログの著者であるMasakoのプロフィール。自己啓発に目覚め、会社員をやめるまでのストーリーの第2部です。腰痛に悩んでいた時に紹介された鍼灸院の院長先生から、引き寄せの法則を教えてもらった私は、その日から自己啓発に目覚めてたくさんの本を読み、探求を開始しました。
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人生で初めてのリモートワーク

外資系企業に転職したばかりの当時、新しい環境に慣れるのにとても苦労をしていました。

ストレスのせいなのでしょうか。

これまでにないぐらいの重度の腰痛を発症しまして。ほんとに、布団で寝られないほどで、夜中に激痛が走って目が覚めて。ソファーの方がまだラクなので、ソファーで寝起きする日がしばらく続きました。

鍼灸の施術を受けても治らず、病院を受診したのですがヘルニアってわけでもなくて。それでも、座っているのも立っているのもつらいぐらいだったから、お医者さまにブロック注射を提案されました。

よくわかる神経ブロック | 整形外科とブロック注射の専門外来 │ 江戸川区小岩駅前の整形外科・かおるペインクリニック

(実際に私が治療を受けた病院ではありません)

ブロック注射を打ってみるも、あまり効果がなくて。その後も痛くて眠れない日が続いたんです。勤務地が以前より長くなったのも、原因のひとつだったのかも。一時間半ほどの通勤時間。痛すぎて電車に乗れなくて、ベンチに座って見送ったこともあったなあ。

これはもう、仕事を続けられないかも。退職すら考えていた時、上司がある提案をしてくれました。

リモートワークです。

まだコロナが流行する前のことで、日本ではリモートワークはまだ一般的ではなかったんですよね。それで、どうしようか迷ったんですけど、せっかくの提案なので有り難く受けてみることにしました。

理想的な働き方

不安を抱えながらのスタートでしたが、やってみたら私にはすごくピッタリ。システムはきちんと完備されていて何も問題なく仕事ができるし、一人で気ままに作業を進められる。

すごく快適でした。

何より通勤時間がゼロ。それまで平日は6時前に起きていたので。。。7時ぐらいに起きて、ゆっくりと朝の支度に時間を掛けられる喜びといったら。この上なしでした。

快適な会社員ライフを続けるうちに、「私が望む働き方ってなんだろう?」って。本当に望む仕事のスタイルについて考えるようになったんですよね。

通勤時間ゼロだし、一人で気ままに仕事を進められるのはよかったんですけど。結局、9時から18時まで会社に拘束される毎日。私が望んでるスタイルはこれなのか?

もっと自由に自分の働ける時間に働く。

悩んだ末に、こういう結論に至りました。そう、会社員そのものをやめたくなったんです。

でもでも、じゃあどんな仕事があるの?
どうやってそれを始めるの?

当時の私には全く思いつかなくて。ただ漠然と会社員をやめたいと思うだけで、実行には移せずにいたんです。

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コロナウイルスの蔓延

そんな中、世界中を苦しめたコロナウイルスの流行が起こりました。

多くの会社がリモートワークを採用する中、当時勤務していた会社も全社でリモートワークに。さらに、コロナの影響で大幅に収益が減ってしまったため、給与カットの代わりに週3日勤務とする措置が取られたんですよ。

給料が減るのは正直きつかったけど。週3日勤務、まるで天国のようでした。

1日頑張って働いても、次の日はお休み。こんな楽ちんな働き方があったとは!まさに目からうろこ。

とはいえ、コロナ禍で外出制限がありましたから、自由に遊ぶわけではなく。外出は車で必要最低限の買い物のみ。休みの日には自己啓発の探求にふけっていました。

都内の大学に進学してから勤務場所もずっと東京で。東京を崇拝してきた私でしたが。どうしても出社しなくてはいけない時以外は、都内に出掛けることはなくなり、地元への愛着が深まりました。

そしてそれと同じくらい、週3勤務が解除される恐怖から、会社員をやめたいと思う気持ちが大きくなっていったんです。

そうだ、会社辞めよう

週3勤務から週5勤務に戻り、さらに度々出社制限が解除になったことで。私のストレスは再びうなぎのぼり。

会社を辞めたくて辞めたくて。

上司にムカつくたびに今度こそ辞めてやるって思うんですけど。コロナの影響だったり、上司や同僚が辞めたりで。なかなか退職の意志を伝えることすらできずにいました。

退職していく他の社員たちの手続きをするたびに、うらやましいなあと心の中でうらやみながら働いていたある日。私の優柔不断な心を後押ししてくれた、一冊の本に出会います。

ハ・ワン著『あやうく一生懸命生きるところだった』(ダイヤモンド社)

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韓国にお住まいの著者であるハ・ワンさん。ストレスを溜めながら会社員として働いていたハさんは、ある日覚悟を決めて仕事をお辞めになりました。まさに、私が目指していたあるべきお姿。

ハ・ワン | 著者ページ
ハ・ワンの著者紹介と、ハ・ワンが執筆した掲載中の記事一覧です。

「そうだ、会社辞めよう。」

読後の興奮冷めやらぬうちに、会社を辞めることを上司に伝えました。別に退職後の生活の目処が立ったわけじゃないの。でもね、これ以上自分の願望から目をそらすのはやめることにしたの。

今の自分の願望を実現する方が、将来の生活の安定の確保よりも大切なことだと気付いたんです。

ただ、後任がなかなか見つからないなど色々あり。実際に会社を辞めるまでには一年ぐらい掛かったんですよね。その間も、仕事の手は抜かなかったけど。私のことが気に入らなければいつでもクビにしてくれ!それぐらいの気持ちで働いてました。

ようやく後任が見つかり退職が認められた時は、上司の前で大喜びしちゃいましたよ。退職は2021年12月31日付。最後の日まで頑張った私、えらかったな。引き継ぎも終えて、晴れがましい気持ちで迎えた2022年の元日。こうして、私の会社員生活は2021年をもって終了しました。

自己啓発に目覚めて、自分の心の願望に耳を傾けた結果、自分の望みを叶えることができたのです。

「願い事は絶対に叶う」

そう確信して、自由を謳歌していた私。まさか、あんな悲劇が私たち家族を襲うことになろうとは、夢にも思っていませんでした。

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