東京オリンピックの思い出

じいじ

今、テレビで東京オリンピックのビデオを見ています。東京オリンピックはこれまでに2回開催されました。1964年(昭和39年)と2021年(令和3年)です。ここでは昭和39年(10月10日~24日までの15日間)のオリンピックについて言及します。

1964年には私は東京都に住んでおり、16歳の高校1年生でした。アジアで初の開催で(1940年に東京で開催の予定であったが第2次世界大戦のため中止)、第2次世界大戦の敗戦国としては、1960年のローマに次いで2番目であり、ドイツでは1972年の西ドイツ・ミュンヘンで開催されました。

オリンピック開催に向けて、国立競技場や体育館などの競技施設の建設、東海道新幹線や首都高速道路などの建設、一般道路・下水道などの都市インフラの整備、観光客用のホテルの建設などが急ピッチで進められました。このため「オリンピック景気」がもたらされました。テレビもオリンピックを契機にカラー化が進められ、より臨場感が高められました。私は直接競技会場で観戦することなくテレビ観戦が主でしたが、自国開催ということで深夜や早朝開催はなく、国際大会でよくある生中継のテレビ観戦による寝不足は全くありませんでした。

特に熱心に観戦したのは、男子体操、女子バレーボール、柔道、マラソンなどでした。

男子体操の団体総合では、日本チームは1960年のローマ、64年の東京、68年のメキシコシティー、72年のミュンヘン、78年モントリオールとオリンピック5連覇を達成しました。他の団体競技の連覇記録は、プロ野球の読売ジャイアンツの9連覇、ラグビーの新日鉄釜石と神戸製鋼の7連覇が有名です。しかし読売ジャイアンツでは長嶋茂雄選手と王貞治選手、新日鉄釜石では松尾雄二選手、神戸製鋼では平尾誠二選手がそれぞれ中心選手として活躍しています。ところが男子体操はローマとモントリオールでは選手が全員入れ替わっています。次々に有力選手が誕生しているということで、男子体操の底辺の広さ・強さがうかがえます。

男子体操は東京大会で、金メダル5個、銀メダル4個、銅メダル1個と合計10個のメダルを獲得することができました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました