そんな状態がしばらく続いたため、私も妹と付き合うのが面倒になり、妹と会う時間が段々と減って行きました。そして、ほとんど顔も合わさないような状態がしばらく続いた後、実家を売却することになったため、久しぶりに妹と会うことになりました。不動産屋さんに娘と一緒におもむきましたが、久しぶりに会った妹の姿を見て、私も妹も驚いて息をのんでしまいました。あまりにも顔色が悪く足腰もかなり弱り、また妹は小さい頃かふくよかな体型で、それに悩んでしょっちゅうダイエットを繰り返していたのですが、見る影もないほどのにすっかり体が小さくなっていました。
糖尿病を悪化させ、腎臓を悪くしてしまい人工透析を受けているとのことでした。糖尿病と診断されて以降も食生活を見直すことなく、お酒も飲んでいたようですが、お酒も体質的に合わなかったのでしょう。すっかり変わり果てた妹と久しぶりに再会し、妹の交流が再開しました。再会してしばらくは、以前のように二人で出かけたりして、久しぶりに会った時よりも元気になっていったのですが、それでも何度かちょこちょこ入退院を繰り返しておりました。
そして、通っていた病院で看護師さんがご親切に足の爪を切ってくださったのですが、足の指に少しが傷ついてしまったらしく、そこから菌が入って化膿してしまい入院しなくてはいけなくなりました。私の自宅からも近い病院でしたので、当時はよく妹に会いに行きました。リハビリの時間に付き添ったこともあり、作業療法士の先生と一緒に妹を励ましましたが、リハビリをする気力が起こらなかったようで。結局はベッドで寝たきり、動くときは車いすの状態になってしまいました。日々の楽しみはテレビを観ることだけ。病院のテレビカードがなくなるとよく電話がかかってきたことを今でも思い出します。
化膿した足は良くなることはなく、最終的には膝から下を切断せざるを得ない状態にまでなりました。私にとっても衝撃は半端なかったです。妹は小さい頃から健康優良児で活発な子でした。そのたくましさといったら金太郎と呼ばれるほど。百貫デブとからかった男子をやっつけて子分にしてしまうような、心も体も丈夫な女の子でした。そして、妹は多くの才能に恵まれた子でした。歌が上手でスカウトをされたり、手相を見るのが得意で、高校時代は休み時間に行列ができたりしてしまうほど。人を楽しませることが上手で、たくさんの仲間に慕われていました。
だから、足の切断は本人にとってもつらく大変なことでしたでしょう。透析治療のため1日の水分量まで決められ、食べたいものも食べれない生活。小さい頃は食べるのが大好きで、私の分まで横取りしていたのに、まさか人生の最後にものを自由に食べられなくなるとは。本人も予期していなかったでしょうね。足の切断の手術をしてから間もなくして、世界中を苦しめたコロナの蔓延が起きました。妹の入院していた病院もコロナのために面会が禁止されたため、1年以上会えない日が続きました。ようやく面会ができるようになったと思うと、また面会制限。そんなことの繰り返しで、病院の前を車で通るたびに、妹は元気にしてるかしらと思いをはせていました。
そんな妹が昨年の2024年1月に他界しました。私はまだ妹がいないことが信じられません。妹が他界して時が経つにつれ、色々と学ぶことが多くなっています。私は無神論者ですが、夫も私も長男長女なので我が家の仏壇には両家の親の位牌がまつられています。宗派は違うのですが、お寺のご住職に相談したところ、和気あいあいと楽しくていいのではないかとおっしゃってくださいました。毎朝仏像とご先祖様に手を合わせながら、元気でいられることの大事さをしみじみと感じ、感謝しています。この年になって、好きなものを食べ、好きな事をして生きて行くことがどれだけ素晴らしいかを思い知りました。
だから、皆さんも自分の体を大切にして、他人様からのアドバイスにはきちんと耳を傾けていただきたいと切に願っています。
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