こんにちは、Masakoです。ご訪問ありがとうございます。
以前の記事でご紹介した、私の人生を変えた引き寄せの法則との出会い。引き寄せの法則をきっかけに、自己啓発の道を探求することになったのですが、引き寄せの法則はどこか胡散くさいとお感じになっている方もいらっしゃるはず。今回は、引き寄せの法則について考えてみたいと思います。
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今回のテーマはこちらだよ。
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- 引き寄せの法則ってそもそも何?
- 引き寄せの法則ってスピリチュアルなの?
最後までお付き合いいただけますとうれしいです。それでは、どうぞ。
引き寄せの法則ってそもそも何?
引き寄せの法則とは、自分の頭の中の思考が目の前に起こっている現実を引き寄せているとする法則です。いい現実も悪い現実も、すべてアナタの思考が引き寄せている。なので、もし叶えたい願望があるならば、まずは頭の中で思い描くこと。それが願望達成のための法則であるとしています。
私が引き寄せの法則を知るきっかけとなったのは、エスター・ヒックス及びジェリー・ヒックス著『超訳 引き寄せの法則―エイブラハムとの対話』(SBクリエイティブ)という本。エスターとジェリーはご夫婦なのですが、瞑想をしていた時のこと。奥さまのエスターが突然、高次元の存在であるエイブラハムとつながりました。エスターの体を使って、願望達成のための法則を語るエイブラハム。その後もチャネリングを行いエイブラハムの言葉をジェリーが書き留めたのですが、エイブラハムが言うには、アナタの目の前に起こるすべての事象は、アナタ自身が引き寄せている。この法則は地球上のすべてのものに例外なくその作用が働いていて、アナタに起こるすべての事象はアナタ自身つまりアナタの思考から始まっているそうです。
ここまで聞くと、確かに胡散くさいよね。高次元の存在って何?エイブラハムがエスターの体を使って、法則を語るって降霊術ですか?そう思われても仕方ないと思います。そもそも、エスターがエイブラハムとつながるずっと前。19世紀後半のアメリカでニューソートと呼ばれる、キリスト教の異端的な運動が起こります。このニューソートが、引き寄せの法則の生みの親。
引き寄せの法則(ひきよせのほうそく、英: Law of attraction)は、19世紀アメリカ合衆国で始まったキリスト教における一種の異端的宗教・霊性運動の潮流ニューソートにおける、ポジティブな思考が良い経験を、ネガティブな思考が悪い経験を、人生にもたらすという信念であり、科学という視点から見れば疑似科学である[1][2]。ポジティブ・シンキング、積極思考とも。人とその思考は「純粋なエネルギー」で出来ており、同種のエネルギーが同種のエネルギーを引き寄せるプロセスが存在すると信じ、そのプロセスに沿うことで、人は健康、富、人間関係を向上させることができると考える。しかし引き寄せの法則を裏付ける実証的な科学的根拠はない。
出典:
引き寄せの法則 - Wikipedia
さて、このニューソートの影響を受け、思考は現実化するという考えを主張されていた方が他にもいます。ナポレオン・ヒルです。ナポレオン・ヒルは新聞記者として働いていた時に、鉄鋼王として知られるアンドリュー・カーネギーにインタビューをする機会に恵まれます。そしてカーネギーから、成功者にインタビューをし、彼らの成功哲学をまとめてほしいという依頼を受けます。そして、ヒルは成功者に共通する点を見つけ出しました。それは、成功者たちはまず実現したいことをはっきりと頭の中に思い浮かべていたことです。成功するための出発点は、頭の中で思考すること。しかも、はっきりと思考する。これが、成功する人としない人を分けるポイントの1つなんだそうです。
引き寄せの法則はやっぱりスピリチュアル?
ここまで見てみると、結局ニューソートが引き寄せの法則の根幹にあって、やっぱりスピリチュアルの一種なんじゃないかって。そう思いますよね。ここでちょっと、日本に目を向けてみましょう。このことわざをご存知ですか?
「情けは人の為ならず」
他人に情けをかけるのはその人の為だけじゃなくて、巡り巡って自分に返ってくるのだという意味です。これを誤って、他人のためにならないから情けをかけちゃいけないと勘違いしている人が増えていると聞いたことがありますが、本当の意味は人に親切にしなさいということ。
私の祖母がよくこの言葉を使っていました。祖母は本当に優しさのかたまりのような人で、この世を去ってもう30年が経ちますが、祖母を知っていた方々はいまだにあんないい人はいなかったって言ってくださいます。そんな祖母には、「情けは人の為ならず」にまつわるエピソードがたくさん。
私の母には妹(私にとっては叔母)がいまして、叔母がまだ高校生だったころ。叔母が通っていた私立高校の先生方が、突然解雇される事態に。そして、先生を守る会というのが発足され、毎晩のように母の家に先生が集まり、祖母が食事を振る舞っていました。時が過ぎて、従姉妹が叔母と同じ高校に進学したのですが、当時の叔母と祖母をよく知る先生がまだいらっしゃって、従姉妹はとても可愛がってもらったそうです。
他にも、母が若い時。職場のパートの女性がお正月に熱を出して寝込んでしまったと聞き、おせちを持って行ったとか。自分の身内のお世話はもちろんのこと、誰に対してもいつも穏やかで親切な祖母。祖母の悪口を言う人には、一度も出会ったことがなく。祖父母の兄弟たちは祖母に対して感謝してくれていましたので、その恩恵にあずかって祖母が他界した後もよくお小遣いをもらいました。
悪いことをしたら悪いことが起こる
さて、では反対はどうでしょうか?
私の母の知り合いで、亡くなる前に娘さんと同居したおばあちゃんのお話しです。病気で入院しもう余命いくばくもないと分かったおばあちゃんは、もう1人の娘さんと相談のうえ、次女と同居することになりました。長女はすでに持ち家があったのと、旦那さんが長男のためおばあちゃんが遠慮したそうです。
おばあちゃんは毎週末に外泊が許可されていたので、自宅に帰るのですが。帰るたびに汚くなっていく家。そう、次女はまさに片付けができない女。おばあちゃんが掃除してほしいとお願いすると、自分ですればいいと言ったり、夕食にお刺身が出るのでおばあちゃんが食べられないと言うと、自分で料理すればいいと言ったり。見るに見かねた長女が注意をするも、全く聞く耳持たず。おばあちゃんは、いろんな人に長女と同居すればよかったと言って亡くなって行ったそうです。
そして、おばあちゃんが亡くなった後も次女の家族はその家に住み続け。家は荒れ放題、仏壇はゴミだらけ。何度も長女や親戚の人が怒ったのですが、全く改善することはなく。ついには長女と次女は疎遠になりました。数年後、次女の旦那さんが彼の実家の遺産を受け継ぎ、新居を購入することになったのでおばあちゃんの家は売却することに。久しぶりに妹に会った長女はビックリ。足腰がすっかり悪くなっていて、まるで長女よりもずっと年上のおばあさんのようになっていました。
持病を悪くして透析治療を受けるまでになっていた次女は、食べ物も飲み物の量も制限されて。それまでのことを長女に謝ったそうです。2人は元のように行き来するようになりましたが、次女の病状が悪化して入院。さらに、足からばい菌が入り脚を切断することに。長女の家のそばに入院していたので、ちょくちょくお見舞いに行っていたそうですが、コロナの蔓延で、度重なる面会制限。でも、会いに行くたびに次女の子供たちの愚痴を聞かされました。子供たちはほとんど面会に来なかったそうです。外泊することもできないまま、5年間の入院生活ののち、病院で息を引き取った次女。次女の新居には娘が1人で暮らしていますが、その家もゴミ屋敷状態なのです。
自分のしたことは自分や自分の子供にも返ってくる。この話は、まさにこの言葉を表していると思うんです。自分の親(旦那さんの親も)を大切にしなかった結果として、自分もさみしい最期を迎えることになったのですから。
自分のしたことは自分に返ってくる
因果応報とか、親の因果が子に報うとか。仏教でも引き寄せの法則と同じ考え方がありますね。つまり、引き寄せの法則はキリスト教の異端的な考えではなく、世界に共通した原理なんです。ポジティブな思考がいい経験を、ネガティブな思考が悪い経験を引き寄せる。科学的に証明されていないかもしれませんが、人類の経験則上、この主張が正しいことは誰の目にも明らかです。
それでも、たまに疑いたくなることはあります。人に親切しているのに、全然報われないって。でもね、お天道様は見ているんですよ。だから、私は死んだ後もいい人だったねって言ってもらえるように生きて行きたいと思います。
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