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会社員生活にピリオドを打ち、晴れて無職の生活を悠々自適に楽しんでいたある日。私の家族と私の人生を揺るがす、大きな危機に襲われたのでした。
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兄の離婚
私には兄がおりまして、兄には息子が2人いるんですが。2022年4月、兄嫁が子供たちを連れて出て行きました。別居の理由は兄夫婦の問題なので、ここでは何も言いません。言いたいことは山ほどあるけどね。
その日から、兄も両親も私も甥っ子たちに会うことができなくなりました。
離婚調停が始まって、兄は子供たちと月に一回の面会交流が認められたんだけどね。面会交流が認められるのは子供の親だけ。だから、私の両親と私にはその権利がないんだって。えっ、あれだけ可愛がって、子供たちとも相思相愛なのに?無理やり会いに行こうものなら警察に通報されるかもしれないそうです。
日本の親権制度については世界からも激しく非難されていて、何年後かには共同親権になるらしいけど。現行は連れて出て行った親が、ものすごい権利を認められて。出て行かれた方は泣き寝入り。挙句、婚姻費用は払わなくちゃいけなくて。向こうは何度も面会をすっぽかしても咎められないのに、婚姻費用は差し押さえができるんだってさ。今回ばかりは、男は大変だなって思っちゃいましたよ。
法科大学院に通っていたことは以前の記事で書きましたが。
弁護士になった友達に依頼して、兄の親権取得のために色々と手を尽くしたんです。でもね、最初からこう言われてしまいました。
- 親権は別居時に一緒に暮らしていた親に認められる
- 子供が小さい時は母親に親権が認められるのが一般的
- 親権者の経済的な要素は考慮されない
ほぼこの通りに親権者が決まるそうです。母親がよっぽどひどい虐待をしていない限り、同居していない父親に親権が認められる可能性はゼロだって。母親の経済状態は全く考慮されないらしくて、生活保護でもいいって言うんです。
そりゃあね、DVから逃れて子供と生活を始めたご家族なら分かりますよ、生活保護も。でも、父親と暮らせば金銭的に困らない子供たちが、あえて生活保護を受給して生活するって。税金を何だと思ってるんだよ。ふざけるな。日本の司法制度を心から恨みました。
親権のために手を尽くすも
最初から兄が親権を認められる可能性はゼロに近いって言われてもね。何もしないで引き下がったら絶対に後悔しそうだから、親権の調停を申し立てたんです。裁判所から調停員の方が来て、一緒に暮らす家族全員が面談をして。家の中をくまなく見て、経済状態についても質問されて。でも、これってただの形式的なもの。
日本においては、個別案件ごとにどちらの親と暮らした方がいいかという判断を裁判所が下すことはなくて。結局、母親に親権が認められました。もし、裁判に移行してもこの判断が適用されるそうなので、調停で離婚を成立させることにしました。
子供の父親には月一回の面会交流権が認められるのですが、祖父母や叔母には面会交流権はありません。彼女の離婚の条件には、私の両親と私を子供たちに会わせないというものが入っていたの。で、離婚を成立させるためにはこの条件を受け入れるしかなくて。受けいれられない場合は調停が不成立。その後の選択肢としては、離婚しないか、あるいは裁判に移行するかのどちらか。精神的に追い込まれている兄を見ていて、私たち家族は泣く泣くその条件を受け入れることにしたんです。
誰のための親権制度?
両親も私も、子供たちのことを心から愛してきたんですよ。週末になるとしょっちゅう我が家に遊びに来てたし。夫婦で買い物に出かけたいからって、よく子供たちを預かったし。結婚記念日に2人で旅行に行きたいからって、預かったこともあったし。下の子供を出産して入院してた時は、お兄ちゃんは我が家にいたし。子供たちだけでお泊まりすることもしょっちゅうだったの。1週間ぐらい泊まったこともあったな。オムツも交換したし、ミルクやご飯も食べさせたし、お風呂にも入れたし。色んな所に遊びに連れて行って、いろんな経験させて。
でも、そんなことは裁判所には一切通じないんですね。それまでの甥っ子たちと私たちの関係性は、全く考慮されず。私たちの気持ちもだけど、子供たちの気持ちも無視。お互いに会いたがってる子供と祖父母や叔母を会わせないようにすることを法律が認めるなんて。あまりに子供と祖父母の人権を踏みにじっていないですか?
甥っ子たちと最後に会ったのは、2022年4月16日。その日から、とっても長くて悲しい日々が続きました。しかも、甥っ子たちに会えないのに加えて、40歳を目前に控えていた私のホルモンバランスは乱れまくり。産婦人科ではプレ更年期って言われました。しょっちゅう怒って、泣いて、落ち込んで。まさに感情のジェットコースター。
今振り返ってみるとね。あの時の私は、怒りのエネルギーをぶつけることでしか、自分の心の叫びを表現することができなかったんだと思います。怒って怒って怒りまくることで、壊れてしまいそうな心を必死に守っていたんだろうなあ。
でもね、常にこうも思ってたんです。ヒステリーを起こしてばかりの自分を変えたいって。家族に優しくなって、穏やかで幸せな毎日を過ごしたいって、心から強く願っていたんです。
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