大人が思っているほど子供は未熟じゃなくて、子供には大人と同じぐらいに、いや、もしかしたら大人以上に洞察力が備わっているんだなって、改めてそう思わされたのは昨夜のこと。久しぶりに友人とその子供たちと食事をしたのだけれども、ちょっと会わない間にものすごく成長していて、特に小学6年生の女子ともなると、普通に大人の会話に交じって自分の意見を言う。その意見があまりにもストレートで本質をとらえていて、頼もしくなったなとうれしく思うと同時に、子供だからってあなどっちゃいけないんだなと、いろいろ学ばされた夜だった。
という出来事を文章にしたためてみようと思い立ったものの、言いたいことがなかなかまとまらなくて、また従来の上手に書かなきゃっていう呪縛に縛られているなとはっと気づき、本当は何を言いたかったんだろうと、パソコンのキーボードから手を離して、目をつぶって思いを巡らせてみる。ちょっと視点を変えてみよう、そう思いついて「子供」という言葉をインターネットの辞書で調べてみようと、とあるサイトのリンクをクリックしてみたら、Windowsの警告みたいなのが表示されて、今すぐここに電話してくださいって書いてある。そういえば、テレビでこんな詐欺が流行ってるって言ってたなと思い、画面を消そうとしたんだけど簡単に消せなくて、粘り強く消していたら突然画面が消えた。なんとも気分の悪いことが起こったものだと、今起きたことについてネットで調べてみると、こうやってウイルスに感染したっていう警告を表示させて電話をさせるのを、サポート詐欺って呼ぶらしい。表示されている電話番号に電話をかけると、ウイルスに感染しているから、対策ソフトが必要ですとお金を払わされるらしいので、あわてずにどこもクリックせず、電話もせず、キーボード上のEscボタンをクリックして、画面の閉じるボタンを押しましょう、と警視庁のホームページに記載されていた。
ちょっと話がそれてしまったけれども、改めて言いたかったことに考えを戻してみる。私がこの経験を文章にしたい、しなきゃいけないと思ったのは、昨夜の経験が私にとっては認識を改めるきっかけになったからであって、子供たちが教えてくれたことが私のこれからの人生で大きな意味を持つ、素晴らしいことだったからだ。大人が考える子供の能力と、子供に備わっている能力っていうのは大きくかけ離れていて、大人が考えている以上に子供にはきちんと自分なりの価値観や意見があって、ストレートに現実を認識しているぶん、大人なんかよりも核心をついていることがある。好きは好き、嫌いは嫌い、駄目なことは駄目。かつては、誰もがこんな素直の心の子供だったはずなのに、成長するにつれて言葉をストレートに表現してはいけない場面に何度も出くわし、自分の素直な気持ち、感情をそのまま伝えてはいけないことがあるということを経験する。「本音と建前」や「嘘も方便」。社会で上手に生きて行くため、心とは裏腹なことを言葉にするっていうそんなスキルをどんどんと磨いていって、自分の本当の感情というものが分からなくなってしまうなんていう、最悪なケースに陥ってしまうことがあるんじゃないだろうか。
「ママが大嫌いです。」
上の甥っ子が言ったこの言葉。そんな正直な彼の心の声を、その当時の私はきちんと受け止めていなかった。ママを嫌いなのは元から分かっていたし、そこにはウソや偽りはなくて、ストレートに彼の感情を表現しているのはもちろん分かっていたけれども、なんて言ったらいいのかな、もっと浅いところでしかその言葉をとらえていなかったんだと思う。昨夜、小6の女子と話していて、その子も元兄嫁と甥っ子たちのことをよく知っているんだけれども、元兄嫁に対する彼女の意見があまりに鋭くて的確すぎて、子供はしっかりと現実を見ているんだなって驚かされた。それで、頭の中をよぎった「ママが大嫌いです」という甥っ子の言葉。それはただただ感情にまかせて言っていたわけじゃなくて、ママっていう一人の人間に対する、しごく客観的な正当な評価だったんだっていうことに、改めて気づかされたのだ。
大人は子供の言葉をあまりに軽んじすぎているのかもしれない。下の甥っ子が3歳の時に言っていた、母親に対する「フワ(母親のことをそう呼んでいた)、いらない」っていう言葉も、当時はママに対してそんなこと言っちゃ駄目よぐらいに考えていた。でも、その言葉は彼の心の中のありのままの考えであって、そんなことを3歳児が言うのには何らかの事情があったんだろう。それなのに、当時の私は甥っ子たちを生んでくれたからと、元兄嫁に対して感謝や遠慮の気持ちがあって、彼女のいい面を見なければいけないと思い込んでいた。自分の彼女に対する感情を素直に受け止めるよりも、上手に関係を築くことばかりに躍起になって、自分の本当の感情にフタをしてしまっていたのだ。
そういえば、下の甥っ子に数年ぶりに会った時、私や私の両親の記憶があんまりなかったようで、別居した時点で彼は3歳だったし、久しぶりに会ったのが6歳だったから、それは当然のことなのだろう。最初のうちは私や私の両親に対して照れや遠慮があったのだろうか、小さい頃とは打って変わって、自分の願望をはっきりと言わない子供になっていた。何か尋ねると「どうでもいい」と言う下の甥っ子。そんな小さい子供が「どうでもいい」なんて言葉を使うことに、すごくショックを覚えたんだけれども、今思えば、もしかするとあの子はほんの数年の間に、自分のありのままの感情を言わないということを身につけてしまったのかもしれない。でもね、これだけは伝えたいんだけど、自分の思っていることははっきり伝えないと、相手にはちゃんと伝わらない。あなたはまだ子供なんだから、心の中のありのままの感情を表に出していいんだよ。どんな言葉であっても、たとえそれが大人になって都合の悪い言葉であったとしても、それを受け止めるのが親の仕事。あなたは大人になるには、つまり自分の本当の感情にフタをするのにはまだ早すぎる。それに、どうでもいいなんてことを言っていたら、周りからもどうでもいい扱いを受けてしまうんだよ。
実は、小6女子から学んだがことが、あともう一つある。彼女は大きな目標を立てて、今、それに向かって着々と努力している。子供と大人の大きな違い、それは子供は未来に向かって今という時間を乗り越えていってるのに、大人は過去を振り返ることに時間を使い過ぎているということ。これは私が何より言いたいことなんだけど、どうしてだろう、キーボードを打つ手も止まるぐらいに、なんだか安っぽく聞こえてしまうから、ちょっと頭の中で考えてみることにする。
まだ兄が別居して間もない頃、たまたま行ったマーケットでイベントが開催されていて、その中の一つにボイジャータロットというものがあった。ボイジャータロットというのはタロット占いの一種で、選んだカードから自分の潜在意識の声を読み解くというものなだけれども、甥っ子たちのことで悩んでいた私は、母と一緒に占いをやってもらうことにした。私が引いたカードはそれぞれ戦車と星の絵柄が書かれていたものだったのだが、占い師の方がそこから読み取ったのは、「戦車ではなくて星になりなさい」ということだった。怒りに燃え盛るのではなく、明るく夜空を照らす星のように、子供たちのことを見守りましょう。ことあるごとに、何度も何度もこの言葉を頭の中で反芻してきたのだけれども、久しぶりにこの言葉を思い出した。
過去に起きた悲しい出来事や腹立たしい出来事。40歳も過ぎればそんな出来事は星の数ほどもあるけれども、どれも過去に起きたことであって、今さらくよくよ悩んだところで過去を変えることはできないし、ましてや今が変わることはない。戦車で相手を攻撃すれば、少なくとも今は変わるかもしれないけれども、それは新たな悲劇と怒りを生むだけ。過去の怒りのために、誰かを攻撃するなんて無駄なこと。
もし、今の現実を少しでもよくして、明るい未来を手に入れたいと思うなら、たとえ今は闇の中を歩いているとしても、夜空を照らす星を見上げながら、一歩ずつ一歩ずつ未来に向かって今を進んでいこう。だから、私は決めました。甥っ子たちとの笑顔にあふれた幸せな未来のために、自分のありのままの気持ちを日々このブログにつづっていくことを。


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